夫との別れから自立まで

夫の突然死からシングルマザーとして自立するまで(4)

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夫の突然死からシングルマザーとして自立するまで

こんばんは!
前回(夫の突然死からシングルマザーとして自立するまで(3))の続きを書こうとおもいます。当時のメモなどを頼りにまとめています。

病院からの突然の呼び出し、心肺停止

3日ぶりに病院から自宅へ帰る電車の中。
ぼーっとしていると、病院から電話が。

ご主人の容態が急変し、さきほど心肺停止になった。
蘇生処置をしている、すぐ戻ってきて下さい。

すぐに引き返しました。

後にも先にも、ここから病院に着くまでの間が、一番声をだして泣いていたんじゃないかなあと思います。1人でワンワン鼻水垂らして、周囲の人は何事かと思っていただろうな… なんだかよくわからないけど嗚咽が止まりませんでした。思っていたよりも現実的で、想像していたよりももっと早く、そのときがきてしまうのではないか、心の準備もなにもできていないうちから、とんでもないところに放り投げられたような気がしました。

生きてるか死んでるか

時間は朝の9時だったか10時だったか。
夫のベッドに近づくと足が見えました。
赤紫色にパンパンにむくんだ足。
生きている人間の足では到底ないと思えました。思考力が完全に低下した意識のまま近づいていくと、心電図は「0」を表示させていました。夫の心臓は止まっていたのです。その「0」という数字を見たときに、やっと、今の状況を理解できました。あまりにあっけなく訪れたその現実。実感は全然なく、フワフワしていました。

人工透析の機械だけが、シャーーーと音をたてて動いています。心臓の止まった夫の体の中を血液だけが機械の力でめぐっているのです。変なの、と思いました。この時点では、まだ生きているということなのです。心臓が停まっていても生きているという扱いなのでした。不思議な感覚でした。

生きてる?これが?話しもしない。動かない。息もしてない。心臓もとまっている。でも血液だけが体の中を巡回していて、「生きている状態」なのだといいます。私にはよくわかりませんでした。

原因不明の出血と吐血

私が病院を出てしばらくしてから、肺に水(血液?)がなぜか溜まっていき、口から大量の吐血をしたのだそうです。そのまま心肺停止に。なぜそのようなことになったのか、不明だということでした。とにかく、血栓ができて血液循環が一時的に止まったことにより、腸の一部が腐敗しました。そして膵炎も併発、もともと子供の頃から難病を患い、投薬をし続けてきた生活。最終的には腎不全で人工透析患者であったため、さらに大量の薬を飲んでいました。

そして2日の間に、合計20時間近くの2度の大手術。
通常なら乗り越えられるものを彼の内臓は耐えきれなかったのだと思いました。

吐血のあとは吹いてもらったようですがあちこち血液だらけ、顔も汚れていました。体からは何本もチューブがつながれて、あまりに痛々しいその姿を見ているのが本当につらかったです。彼が生きてたら、ここにいたら、こんな姿さらしたくないときっと思うだろうな、きれいにしてあげたい、そう思いました。

一人じゃなくて助かった

そのとき、そばには今でも仕事でお世話になっているMさんが一緒にいてくださいました。夫にとってはビジネスの関係以上にプライベートでもいろいろと面倒をみていただく機会のあったお姉さんのような方です。Mさんが側にいてくれることで、わたしもまだしっかりと立っていられました。

「がんばったね」
夫に声をかけました。

本当は「なんでやねんなんでやねんなんでやねん」って言いたかったけど、あの痛々しい姿を見てると「がんばったね」としか言えなかったです。何より「なんでやねん」と思ってるのは彼本人だったでしょうし。

先生が事の一部始終を説明してくださり、最後に「どうされますか?」と言われました。
つまり、これらのつながっている機械をとめますか?ということです。

機械を止めるということは「死亡」を認めるということでした。

死を認めるということ

色々な考えがあると思います。
でもそのときのわたしは、早く彼を楽にしてあげたくてたまりませんでした。毎日、透析を受けながら朝から夜遅くまで仕事を頑張っていました。難しいお客さんには頭を下げ、若い部下の扱いに悩み、私とケンカすることもあれば、マイホームのお金のことや色んなことに頭を抱えることもあったでしょう。不器用なところもあったけど、すごく頑張っている人でした。これ以上、無理やり頑張らせるのがあんまりに思えました。それに、目の前に横たわるその人は、どう見ても生きていなかった。赤紫にむくんで目は半開き、口の周りには吐血したあとの血液が付着し、息をしていないし心臓だって動いていません。無理矢理に機械で血液をグルグルグルグル、体に巡回させているだけでした。

彼がここにいたらきっと、自分の姿を見ながら苦笑いして「もう、とめたって」と言う気がしました。楽になろうな。

「もう、とめてあげてください。ありがとうございました。」
先生にそう伝えました。
オートマティックに機械のスイッチがオフにされ、シャーーーーーーという音がゆっくり停止しました。先生が時刻を読み上げて「ご臨終です」と言いました。わたしにとっては、ドラマでしか聞いたことのないセリフでした。そして、夫の体から1本1本チューブが外され、看護士さんたちが体や顔を拭いてくださいました。はだけていた服を整えてもらって、さいごに、顔に白い布がかぶされました。

わたしは、それを見てホッとしました。悲しいよりつらいより、彼がやっと落ち着いて眠れているような気がしたのです。まったくの健康で、仕事やプライベートも順調で、そんな方が同じようになっていたなら違ったかもしれません。でも、彼の場合は違いました。いろいろと背負い、最悪のことを想像することもあるんや、とわたしに話してくれたこともありました。なので、すべてから解放された彼をわたしは「がんばったね」と労う以上のことが見当たらなかったのです。

判断するということの重さ

今から思えば、その決断をもっと待つべきだった気もします。
わたしだけの判断じゃなくて、ほかの家族が到着するのを待つべきだったのかもしれません。(無理やりだったとしても)まだ生きているうちに会わせるべきだったのかもしれません。なんでそんなに早く決断したんだと、言われることも少しありました。正解はわからないままでいます。

12/1の午前11時に、わたしの主人は亡くなりました。
まだ41歳、仕事もこれからというときでした。

続きはまた次回…

2年越しに、こうして当時を振り返ると意外と覚えていることもあったり全く覚えてないこともあったり。こうして言葉にするのはいい機会です。

            

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