ご無沙汰しております。
2017年が終ってしまう前に、
8ヶ月ぶりに(^_^;)…前回(夫の突然死からシングルマザーとして自立するまで(7))の続きを書こうとおもいます。
と、そのまえに。
夫の3回目の命日を迎えました。
続きをかくその前に、
先日12/1、夫の3回目の命日を迎えました。
3年前の11月28日の朝のこと、昼にかかってきた電話のこと、
夕方に駆けつけた病院でのこと、そこからの怒涛の3日間。
ああ、もうあれから3年経ったんだなあ。
ということは、この家に引っ越してきてからも3年…
そして娘たち、とくに6歳の次女をみて「まだ小さかったんだな〜」と時の流れに思いふけって…いやまてよ。ってことはわたしも3年歳をとったということか。うーーむ、そりゃそうだ。わたしも36歳になりました。
立派なアラフォーです(・∀・)
もしも夫が生きてたら44歳だったんだな〜と仏壇に目をやると、
もう歳をとることのない彼が変わらぬ笑顔でそこにいて…
ああいつか天国で会うことが会ったとしたら、
彼はそのままなのに私はおばあちゃんなのね…
気づいてくれるかな。
そして、当時は健在だったけど現在は亡くなった猫たちのお骨も目にはいり…
ほんと、時間の流れって、あっという間ですね。
人生って本当にあっという間なんだろうな…
では、続きをかきたいと思います。
四十九日を迎えて
四十九日は夫の実家から少し近いお寺ですることにしました。
葬儀のときにお世話になったご住職がいるお寺です。
その数日前に、母と一緒に百貨店で弔問客用の粗供養の準備をしました。
当日は、それ以外にお供え用のお花、お寺さんへのお食事代とお布施を用意しました。
ボストンバッグにお骨、そして雨
まだ車の免許がなかったわたしは電車しか通行手段がありませんでした。
その日はあいにくの雨。そこそこ降っていました。
大きなボストンバッグに夫のお骨と遺影をいれて準備をして、複数のタクシー会社に電話をするも、朝の早い時間だからか、まったくつかまりません。このままでは遅刻しちゃう!!と、ボストンバッグと自分のかばんと、当時3歳の娘の手をひいて、とりあえず傘をさして家を出ました。
まだ小さい娘の手をひきながら、ボストンバッグを落とさないように、娘を濡らさないように、喪服姿なので低いとはいえヒール靴で駅まで歩くことに。これが、なかなかキツイのです。
途中でタクシーがつかまりますように、とキョロキョロするも、そもそもタクシーがほとんど通らないような住宅街で、ましてこの朝の雨。そのうち、雨もきつくなり、肩が濡れます。荷物はかなり重く、娘は「つかれた〜〜あるきたくない〜〜」とぐずりだしました。
遅刻したら大変、と心が焦ります。
寒い季節だったのに私の額には汗が流れ、なんだ、なんでこんなに朝から辛いんだろう。なんでタクシーがつかまらないんだ。おかげでスケジュールがまるつぶれだ。いつもこうだ、こうして準備してるつもりでまったくうまくいかないんだ。
「なんで私ばっかり」
「なんでこんなことばっかり」
かまわず娘は足に絡みつき「だっこ〜〜、だっこ〜〜」とぐずります。
予定よりずいぶん遅れています。
喪主として、この情けない姿はなんだろう。
このままでは遅刻してしまう。
現地でしびれをきらす、夫側の親族の皆さんや会社関係の方々の姿を
想像してはさらに汗をかき、なんだかひどく心細くてたまりませんでした。
誰か助けて。
タクシーひとつもつかまえられず、駅に行くことだけでへこたれて、
なんだか、やたらと悲しくなってしまい、グズグズ泣きながら歩きました。
こうなると、私の悪い癖ですが、
もう何も考えられず、合理的な判断ができなくて
「わたしはダメなやつだ、生きてる資格すらないんじゃないか」
と大きく飛躍してしまう癖があります。
そんなとき、わたしには心のヒーローがたまにあらわれます。
私の心のヒーロー
あと一歩、しんどいけど、つらいけど、
ぜったいに終わりがあるから、おわるから。
例えばきつい筋トレでもうコレ以上は足があがらない!という肉体的に限界のときや、八方塞がりでもうどうしようもなく精神的にへこたれた時、そういったしんどいとき、出産で死ぬほど痛い陣痛のピークときも、心のヒーローが助けてくれました。
それは、14歳のわたしです。
かつて、バレーボール部でしごかれて頑張ってた14歳の私が頭の中に蘇ってくるのです。
そうとう厳しかった部活の練習。
フラフラ、熱くてしんどくて、喉もカラカラで、足もパンパンでもう動けない、視界も朦朧として、先生や部活仲間の声が遠くに聞こえる。でも、最後のちからを振り絞って、あのボールに触ることができたら、そしたらこの状況から解放される。
まっくらな世界には、ボールの姿だけがぼんやりとした光を放ち、遠くにみんなの「アミー!がんばれー!」の声がする。
そうだ、がんばろう。
どんなにつらくても、しんどくても、
絶対に終わりがあることだから。
14歳の自分に励まされて、わたしはぐずる娘を抱き上げて、肩からボストンバッグを下げ紙袋を持ちながら傘をさすという、明らかにキャパオーバーなスタイルで、ミシミシと再び歩きました。駅までは普通に歩いて15分。30分はかかるな…
どうしようもない。
それでも歩いていくしかない。
まあ、控えめに言っても単にわたしの要領の悪さが全ての原因なんですけどw
今思えば、バスあった…
当時は知らなかったんですよねΣ(´∀`;)
家の真ん前から、駅前までバス出てるんですよねΣ(´∀`;)
170円なんですよねΣ(´∀`;)
民間経営の小さなバスが出てるんですよ!その存在を知ったのはここ1年です。バスなんてふだんから全く乗らなかったので選択肢から完全に抹消されていたんです。思い込み、こわい。
もう、本当に無知な自分を呪いたいです。
あのときのわたしの涙と苦労は何だったのかと。
3年前に戻れるならスッと時刻表を自分に渡してあげたいですね(T_T)
そんなこんなで、途中で母と合流し荷物も持ってもらいながら無事にお寺に到着いたしました。
四十九日とは?
四十九日とは、仏教で決められている法要です。
今回の場合は、ご住職がお経を読み上げてくださり、お焼香をして、四十九日についての説法を聞きました。亡くなってからこの世をさまよっていた故人の魂が、ついに天国にいくか地獄に行くのか決まる、それはそれは重要なものなんだそうです。それで、故人が天国にいけるようにお祈りをするんです、ということでした。
わたしは「地獄」という絵本を持っていますが、その絵本にはさまざまな罪をおかした者がそれぞれの地獄におとされることがかかれています。それによると、嘘をついただけでも地獄に堕ちるんですよ。嘘って、大なり小なりついたことあるって人が大半なのではないですか?
どこまでが許されて許されないのか、閻魔様にインタビューしてみたいもんです。
そんなわけで、最後はお茶を淹れて少し歓談しながら弔問してくださった方々に粗供養をお渡しし、四十九日法要は終わりです。お骨と遺影を再びボストンバッグに詰め込んで、帰路につきました。
さらに、同時進行でこの頃は相続の手続きを着々と進めておりました。
それについても、またかきたいなと思ってます(ちょっともうすでに内容を忘れかけている)